先日、親とビデオ通話をしていた時の事。
娘を抱っこした僕を見て、親が感慨深そうに言いました。
「お前も親になったか」
娘が産まれた時、産院の待合室で感じたこと
このコロナ禍で、僕は運良く感染者数が落ち着いたタイミングだったため、出産立ち会いができました。
未だかつて見たことのないほど苦しむ妻を前に、ちょっとした無力感を味わったことを覚えています。
ちなみにその無力感は良く味わうw
娘が産まれる瞬間を見届けた後の待合室で、僕は椅子に座り、何らかの役割を果たし終えたような気分になりました。
目頭が熱くなったことを覚えています。
今までは、死ぬことが怖くて仕方ありませんでした。
もちろん今でも怖いのですが、役割を一つ終えたんだということが、心の引っ掛かりをひとつ取ったのかもしれません。
ただし、その引っ掛かりはあと1,000個ぐらいあります。
めちゃんこ死ぬの怖い。ドラゴンのボールが欲しい。
産院からの退院後に感じたこと
その後、娘と妻が産院から退院し、初めて我が子との生活が始まりました。
すると、今度は別のものが心に引っ掛かったのです。
こんなか弱い我が子が、しっかり育つまでは、絶対に死にたくない。
それは怖さが戻ってきたというより、死ぬ前にやり残した後悔が増えたというような印象です。
心の引っ掛かり1,001個目です。
なるほど、これが親になるということなのだな、と感じ入りました。
ドラゴンのボールがあれば、とりあえず娘が死なないように願う。
でもおっきい方なので、残り2つ叶えてくれると思う。
親の心、子知らず
こんな感情は親になるまで知りませんでした。
正確に言うと、理解はしていても、実感はできていませんでした。
この感情を「無償の愛」というのでしょう。
もしかしたら僕はその一端を知っただけなのかもしれませんが。
僕は両親から今も、無償の愛をもらっているのでしょう。
そう思うと何らかの形で報いたいと思います。
しかし、もし娘が僕にそう言ったら、それだけで十分報われたと感じるでしょう。
娘に「お前も親になったか」と言う日が来た時、僕はどんな気持ちだろう?
さて、冒頭に戻りますが、親から「お前も親になったか」と言われました。
その表情や語調に、ちょっとだけ驚いたことを覚えています。
今、どうして驚いたのか考えてみると、孫ではなく、息子である僕を見ていたことに驚いたのです。
可愛い孫を見せるために、ビデオ通話をしたつもりでした。
でも僕の親は、可愛い孫を抱く息子も見たかったんだなと。
ですが、やはりその気持ちも、僕には理解できますが実感は伴いません。
いずれ娘が大きくなったら、娘が子を抱く姿を見たいと思うようになるのでしょう。
そしてそれが叶うその時、「お前も親になったか」と、実感と共に僕の口をつくのでしょう。
その日が楽しみです。
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